文字サイズ

検索

ツムラの歴史
1904年~1913年

1904年(明治37年) 中国へ広がるロマン

津村重舎(初代)東京市会議員に初当選

日露戦争が勃発したこの年、 重舎は政治家としての第一歩を踏み出した。

「東亜公司」設立に参加

日露戦争後、格段にのびた日本経済力は、 朝鮮から中国へと権益を拡大。 広大な大陸への進出は、 経済人の夢をかき立てた。

「東亜公司」設立に参加 東亜公司

1907年(明治40年) 東京初の電気式点滅看板

1907(明治40年)頃、日本橋本店に中将湯の電気看板を取り付けられた。明治38年のガスイルミネーションと同様、東京市内で最初の電気看板だったと思われる。本店2階から屋根上までにかかる中将姫を中心とした中将湯の点滅看板は、大いに人目を引いた。この看板の電球が切れると、その取り替えには縄梯子を使って店員が上がっていかなければならず、当時の店員にとってそれがひと苦労だったらしい。

東京初の電気式点滅看板 本店前の夜景

1907年(明治40年) ヘルプ発売記念懸賞

懸賞のルーツ?!
胃腸薬「ヘルプ」の新発売を記念して、クイズ形式のオープン懸賞を行った。一等賞は「金側懐中時計」、二等賞は「丸帯」であり総額一万円というものであった。応募総数は25万4,322名を数え大反響であった。後日新聞紙上で当選者、当選番号などを告知している。
また、応募は往復はがきで行い当選者には返信はがきで通知する方法を採った。惜しくも当選されなかった方々のはがきは、現金に換え日本赤十字社へ寄付をしたことも新聞紙上で告知している。このあたり初代津村重舎がアイデアマンといわれた所以である。 (当時はがきは1銭5厘であった)
平成8年6月TBSテレビ「ニュースの森」において、この懸賞の話題が「懸賞のルーツではないか?」と、取り上げられた。

1907年(明治40年) ヘルプ発売記念懸賞 明治40年6月16日(東京日日新聞)

1904年~1913年当時の商品

<左>
ヘルプ(胃腸薬)
<右>
童丸(幼児薬)

明治末頃の取扱製品集合写真