文字サイズ

検索

ツムラの歴史
1914年~1923年

1914年(大正3年)~1923年(大正12年) 多彩で華麗な大正の繁栄

1916(大正5年) 合資会社アーセミン商会が設立。 (旧・第一製薬株式会社の前身) 代表社員に初代重舎就任。 1919(大正8年) 目黒工場竣工。

多彩で華麗な大正の繁栄 目黒工場正面

1920年(大正9年) 創業25周年謝恩会

1920(大正9年)の11月4日、5日の両日は、津村順天堂創業以来、最も輝かしく華麗な秋の日になった。創業25年の謝恩会と津村重舎夫妻の銀婚祝賀会を兼ねた祝典が、その日行われたのである。 菊薫る第1日目の11月4日、当時の憧れの殿堂、帝国劇場で式典が行われた。来客数は212名。和服礼装姿の初代社長が一族郎党、従業員を従えてまず冒頭に挨拶、続いて、来賓代表として束京薬業界をリードする大木合名の大木良輔社長が挨拶をした。それが終わると帝劇階上で昼食、来賓代表から祝辞が次々と述べられていった。 式典が終了すると、タ刻より観劇。そして記念銀盃をお土産に、午後10時に解散した。 日本晴れの11月5日。第2日目のこの日は、渋谷上目黒の津村家別荘において、趣向あふれる園遊会形式で祝賀披露が行われた。 式場兼余興場の庭には椅子700脚余を備え、千有余名の来賓は多彩で、文字通り大正中期の日本を代表する顔々をそこに発見できる。

創業25周年謝恩会
右から重舎(初代)、原敬、後藤新平ら

1923年(大正12年) 初代重舎欧米視察

発展するアメリカと政情不安なヨーロッパの現状に、重舎は多くを学ぶ。

●プレハブ住宅

アメリカでも売り出したばかりのプレハブ住宅を十数棟購入して帰国し、震災火災で焼失してしまった製薬同業者や知己に提供した。 後年、B29の大空襲を受けて、日本橋の津村順天堂の本社社屋が消失したとき、このプレハブ住宅が役立ち、日本橋の焼け野原にいち早く「津村順天堂」の看板を掲げた。

●喫茶部の併設

旅行中、重舎は街角の喫茶コーナ一を設けた多くのドラッグストアを目にした。このアイデアにすっかり感心した重舎は、帰国後さっそく喫茶部の併設にとりかかった。 大正13年に喫茶部営業の許可を受け、同15年に清涼飲料水製造所を設置、曹達水製造販売の許可を受けた。本店内に場所をとり、来店する顧客や通りすがりの散歩客にも、レモンソーダーやミルクセーキを販売した。喫荼を併設した薬店は当時の東京でもまったく新しい形態であった。漢薬という古来の薬を扱っていた重舎だったが、時代のトレンドに興味を深くし、大衆の嗜好に敏感だった。また、これはと思うことは必ず実行した。 この喫茶部は市内に次第に本式の店が増えてくるにつれ、兼業の限界を感じ、昭和14年6月に廃業している。

世界一周に向かう重舎(初代)

1914年~1923年当時の商品

西洋医学志向の時代にあって、和漢薬復興の礎となり、日本古来の伝統薬を守り続けてきた当社の医薬品の数々です。

宮壮綿(婦人薬)
ヨジムチンキ(鎮痛外用薬)
中将綿(婦人薬)

順天眼薬
麗顔水(にきび薬)
メンゼス(婦人薬)

胎毒丸(小児解毒剤)
即妙水(歯痛薬)
速効液(ひぜん薬)

中将球(婦人薬)
健胃丸(胃薬)
吸毒膏(吸い出薬)

ピリン散(解熱発汗薬)
療痔丸(痔薬)
凍瘡膏(凍傷薬)

治瘡薬(瘡傷薬)
便通丸(緩和下剤)
千金丹(不快薬)

軍用膏(傷薬)
セメンエン散(小児薬)
順天薄荷錠(応急予防薬)