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ツムラの歴史
1934年~1943年

1934年(昭和9年)~1943年(昭和18年) 新しい出発と激動の戦時下

1936(昭和11年) 株式会社への組織改正
西洋医学万能の時代的趨勢にあって、 中将湯を核に順天堂の和漢薬は広く大衆に浸透し、拡張を続けてきた。 こうした営業の上に立って、 さらに将来の発展を図ることが株式会社に組織変更した目的であった。

株式会社津村順天堂の本社入り口看板

重舎「粛軍」を質し議員辞職

津村重舎(初代)は本会議で、前年に発生した永田鉄山軍務局長殺害事件などをとりあげ、「将校ヨリモ卒ガ大和魂ヲ余計持ッテ居ハシナイカ」「一将功成リ万卒枯ル」などと二・二六事件を生んだ軍のあり方を厳しく批判した。この発言に軍部は激高。翌日の本会議で懲罰動議が出され、ほぼ全員起立の賛成多数で懲罰委員会に付すことが決まった。重舎は辞表を提出した。津村順天堂の開幕は、津村重舎の政治家としての閉幕と奇しくも表裏をなしている。

議会で質問に立つ津村重舎

1941年(昭和16年) 嵐の中のバトンタッチ

太平洋戦争勃発前の晩春、初代重舎は安らかにこの世を去った。
しかし、世は戦時下、生産活動が不自由になる中で、
2代重舎にバトンが渡される。

1942年(昭和17年) 株式会社満州津村順天堂の設立

和漢薬欠乏状態の満州に事業の夢をかけた。

バトンタッチを受けた頃の津村重舎(2代)