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ツムラの歴史
1944年~1953年

1944年(昭和19年)~1953年 苦難の時代を乗り越えて

1944(昭和19年) 津村重舎(2代)に召集令状

激烈を極めた第2次世界大戦、 日本軍の敗色も明らかになってきた頃、 2代社長に突然召集令状が舞い込んだ。

1945(昭和20年) 焼け跡の再出発

人手も原料も資材も不足していたので、 再建は筆舌に尽くしがたい困難の連続であった。 重舎の当時の心境は, 「津村順天堂の看板を日本橋から消してはならぬ」 という並々ならぬ執念と闘志だった。

1946年(昭和21年) 津村重舎(2代)経済同友会の発起人に

経済同友会は、発足当時ユニークな存在として世間から注目された。 企業から離れた個人加入の組織であり、 目的は個々の事業会社の利害を取り上げるのではなく 国民経済の立場から、 経済問題について意見や要望を表明したからである。

1948年(昭和28年) 農薬「D-D」の輸入販売で新分野に挑戦

日本農業の発展に有意義だと判断し、 土壌害虫駆除薬「D-D」に着目、未知の分野に挑んだ。

1950年(昭和25年)  「バスクリン」製造再開

1952年(昭和27年) 中将湯ビル落成と創業60周年

8階建ての中将湯ビルが完成、 創業60周年も祝って、 津村順天堂に慶賀が重なった。

新装成った中将湯ビル

1944年~1953年当時の商品

良質の薬草栽培のために販売された農薬「D-D」

バスクリン 瓶