歴史
革新が積重なって、やがて伝統になる。

和漢薬興隆に貢献する
1924〜1933

1924(大正13年) 津村研究所と薬用植物園の創設
大震災の復興のなか、 津村順天堂は後世に残る社会的事業を発足させた。
漢方生薬の興隆に貢献した 研究所と薬草園の創設である。

津村研究所
津村研究所
和漢薬学会の大家である朝比奈泰彦博士と、 当時国立衛生試験所に在職していた木村四郎氏が、 研究所設立に参加した。

<漢薬の化学的研究の権威・朝比奈泰彦博士>
初代重舎が研究所創設に当たり、最初に相談した朝比奈泰彦博士は、明治14年の東京生まれ。東大薬学料を卒業後、下山順一郎のもとで植物成分の化学的研究を始めた。ヨーロッパ留学から帰って、東大の生薬学講座を担当し、漢薬の成分を研究する植物化学を開講し、天然物有機化学の道を開いた。
主な研究にキツネノボタン成分のアネモニン、アジサイや甘茶成分の研究、正倉院の漢薬分析がある。戦前すでに日本薬学会の会頭を務め、昭和18年に文化勲章を受章、同51年94歳で死去している。

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薬草園
■生薬学研究に寄与した津村薬草園
津村研究所の創設と同時に、重舎は薬用植物園の設立準備を開始した。場所は東京府北多摩郡神代村仙川で、設立当初の面積は3600坪ほどだった。その後次第に規模が拡大し、終戦時には23万坪に及んでいる。最終的には日本一、東洋一の規模と内容を誇る植物園に成長した。 わが国の生薬学研究に貢献した薬用植物園だったが、戦後、農地解放その他により津村順天堂の手を放れることになり、30余年の歴史を閉じた。
■1925(大正14年) 津村重舎(初代)、貴族院議員に
初代重舎
貴族院議員就任を祝った記念写真

植物研究雑誌
植物研究雑誌
未来に波乱を含む大正末期のこの年、重舎は貴族院議員に選出され、国政の場へ徒歩を進めた。
 
 
<日本初の植物分類学者・牧野富太郎博士>
牧野博士津村順天堂がその発行を全面的に援助した『植物研究雑誌』の主宰者・牧野富太郎博士は、日本で最初の植物分類を行った学者として知られている。文久2年高知生まれ。寺子屋で学んだだげの独学派。少年の頃から植物に関心をもって独学を続けた。明治16年に上京し、東大植物学教室に出入りし、近代的植物分類学に取り組んだ。
その努力の結実として、明治20年に日本植物に日本人として初めて学名をつけた『日本植物志図篇』の第1巻を出した。
昭和2年に津村研究所から『植物研究雑誌』を創刊、同11年に『牧野植物全集』を出し、同15年に『牧野日本植物図鑑』を出版した。
牧野博士の命名になる植物は、新種1000余、新変種1500余に達している。
昭和32年に死去。昭和26年に、最初の文化功労者年金を受け、死後、文化勲章を追贈されている。