2025.11.26

養生のすすめ

入浴

湯に映る日本の心:歴史と文化で紐解くお風呂の系譜

日本人の暮らしには「お風呂」は欠かせません。一日の疲れを癒し、心を解き放つ時間。私たちとお風呂の関係は深く、日本の気候、文化、そして宗教と深く結びついているからではないでしょうか。
そもそも「風呂」という言葉の語源には諸説ありますが、古くは蒸気浴が主流だったことから、その施設である「室(むろ)」に入ることから「風呂」と呼ばれるようになったという説があります。またそして現在。家庭のお風呂は、ボタン一つで湯張りから温度調節までこなす全自動が当たり前になりました。神道的な「禊(みそぎ)」に始まり、仏教の「功徳(こうとく)」として広まり、武家の「施策」や「接待」を経て、江戸の「社交」で花開き、戦後の「内風呂革命」を経て、現代は「体を洗う」という義務的な行為から、「心身を積極的に癒す」「健康的な毎日を過ごす」という大切な時間へと変化しています。日本の入浴文化は、時代と共にその姿を変えながら、常に私たちの心と体に寄り添い続けています。今夜の湯船は、そんな1500年の時の流れと、先人たちの知恵に想いを馳せてみてはいかがでしょう。、「湯(ゆ)」の語源は、心身が「ゆるむ」から来ているとも言われています。言葉の成り立ちからも、「風呂」には人々の心身のリラクゼーションに関わりを感じます。

第1章:入浴の黎明期 ー-「沐浴」と仏教の伝来

日本の入浴文化の原点は、神道における「禊(みそぎ)」にあります。日本最古の歴史書である『古事記』や『日本書紀』には、神々が川や海で身体を清める「沐浴(もく浴)」のシーンが描かれています。日本人は古くから水で身体を洗い流す行為を行っていたのです。
しかし、今日のような「温かいお湯に浸かる」という文化、すなわち「温浴」の習慣が広まる大きなきっかけは、6世紀の仏教伝来でした。
仏教の経典に『温浴洗浴衆僧経(おんよくせんよくしゅそうきょう)』があり、「入浴(洗浴)は七病を除き、七福を得る」と説かれ、入浴そのものが功徳を積む「良い行い」であると明確に記されています。また、仏教には「跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)」という、水の清らかさを見つめることで悟りを開いたとされる菩薩がいます。今でも、浴室(よくしつ)に仏像(跋陀婆羅菩薩像)を祀っている禅宗のお寺があります。

第2章:寺院から庶民へ ー- 奈良・平安時代の「施浴」

仏教の教えのもと、入浴は僧侶の修行や健康維持のために寺院で積極的に実践されました。奈良時代、東大寺には大仏殿と並び「浴堂(よくどう)」が重要な施設として設けられ、多くの僧侶たちが利用していました。また東大寺では、仏の慈悲を説く一環として、庶民に湯を振る舞う「施浴(せよく)」も行われました。現在も浴堂は残っていて、その中には大きな釜があります。湯を抜く栓もあり、釜の中に入って湯に浸かったのか、またはその湯を身体かけていたのか、といった入浴方法は現在も不明ですが、当時の入浴方法は、現代の湯船に浸かるスタイルではなく、蒸気を浴びる「蒸し風呂」が主流でした。
時代が平安時代に移ると、入浴は朝廷の儀式としても入浴は取り入れられます。皇室の即位、立坊(立太子)、入内(婚儀)、官職宣下など、その人の身位にかかわった直後や新築、出産、病気からの回復など、人生の節目節目で「穢れを祓う(けがれをはらう)」目的で入浴が行われました。
日常的にも入浴は行われており、貴族たちは、蒸気浴をするのは月に4〜5回程度で、小浴といわれる行水は、2日おきぐらいに行っていたと記録されています。湯を沸かす薪が貴重だった時代、お湯に浸かることは非常に贅沢な行為だったのです。

第3章:武家と入浴 -ー 鎌倉・室町・安土桃山時代の「接待」

鎌倉時代に入り武士が実権を握ると、入浴文化は新たな側面を持ちます。寺院による「施浴」は継続され、武家政権のトップである源頼朝も、政治的な求心力や功徳のために「施浴」を積極的に実施したとされています。
この流れは、入浴が単なる宗教行為や衛生行為ではなく、人々の心をつかむ「施策」としての意味も持ち始めたことを示しています。室町時代になると植物を湯に入れる「五木八草湯」という現在の入浴剤のようなものがあったとの記録があります。この時代の人も「温まる」「傷に良い」など様々な目的のために入浴を利用していたことが伺えます。
さらに時代が進み、安土桃山時代になると、入浴は「もてなし」の場、すなわち「接待」という重要な役割を担うようにもなります。 天下人となった豊臣秀吉は、その権力の象徴として築いた「聚楽第(じゅらくだい)」に豪華な浴室(湯殿)を設けました。そして、招いた客(大名や公家)を入浴させ、茶の湯などと並ぶ最高級の「おもてなし」として利用したのです。お風呂は、心身を清める場から、政治的・文化的なコミュニケーションの場にも利用されました。

第4章:銭湯文化の開花 ー- 江戸の「裸の付き合い」

日本の入浴文化が劇的に花開き、庶民の日常となったのが江戸時代です。 その主役は、間違いなく「銭湯(せんとう)」でした。
江戸で最初の銭湯は、天正19年(1591年)、伊勢の与市(いせのよいち)という人物が、江戸城近くの「銭瓶橋(ぜにがめばし)」の袂に開いたと伝えられています。 当時の江戸の町は、玉川上水などによって長屋の共同井戸まで水道管によって清潔な水が届けられていました。しかし、これは主に飲み水や炊事用です。膨大な量を必要とするお風呂の水は、井戸水ではなく、川などから汲み上げた水を「水屋(みずや)」と呼ばれる業者が運び入れていたと想像されます。薪で湯を沸かす手間とコストを考えれば、庶民が「湯を買う」銭湯は合理的なシステムでした。
江戸の銭湯は、その構造も独特でした。 当時の銭湯は混浴が基本で、番台で湯銭を払い、その先に脱衣所と洗い場がありました。そして、柘榴(ざくろ)口という小さく低い入り口をくぐると、湯気に満ちた薄暗い空間が広がっていました。さらに、多くの銭湯は2階建てで、1階が浴室、2階はサロン(休憩室)になっていました。湯上がりに2階で涼みながら、碁や将棋を打ったり、世間話に花を咲かせたりしたのです。
ちなみに「柘榴口」は湯気(蒸気)が外に漏れて湯が冷めないよう、とても小さく低く作られていましたので、客は「かがんで」入る必要がありました。この当時、汚れた鏡を磨くために使われた果物が「柘榴(ざくろ)」でした。「鏡を磨く=ざくろ」と「かがんで入る」をかけて、この入り口を「柘榴(ざくろ)口」と呼ばれるぶようになったようです。江戸っ子の「洒落」ですね。
銭湯は、単に体を洗う場所ではありませんでした。身分や職業に関係なく、誰もが裸になって同じ湯に浸かる「社交場」です。「裸の付き合い」という言葉が生まれたように、そこは最新の情報を交換し、地域コミュニティを形成する重要な場となりました。
また、「湯船(ゆぶね)」と呼ばれる移動式のお風呂で商売をする者も現れます。これは、船に鉄砲風呂を置いたものです。江戸時代は水路を交通手段としていたので、入浴客がいなくなると他の場所へ移動するというものでした。

第5章:近代化と衛生観念 ー- 明治・昭和(戦前)の変革

明治時代に入り、西洋の文化が怒涛のように流れ込むと、入浴文化も変革を迫られます。西洋人の目には、銭湯で男女が一緒の湯船に浸かる「混浴」が野蛮な習慣と映りました。新政府は近代化政策の一環として、たびたび混浴禁止令を出し、銭湯の男女分離を進めていきます。また、西洋医学の導入により「衛生(Hygiene)」という概念が重視されるようになります。入浴は、それまでの「穢れを祓う」「社交」といった側面に加え、「病気を予防し、健康を保つ」という公衆衛生の役割を強く担うようになりました。
技術革新も起こります。江戸時代までは薪(まき)が主流だった熱源に、ガスでお湯を沸かすタイプのお風呂が登場し始めます。これは、後の内風呂普及への第一歩となりました。
とはいえ、家庭に風呂がある(内風呂)のは依然として稀で、人々の生活は銭湯と共にありました。昭和(戦前)に入っても、銭湯は地域コミュニティの中心であり続けます。

第6章:「公」から「個」へ ー- 昭和(戦後)の“内風呂革命”

日本の入浴史における最大の転換点は、第二次世界大戦後に訪れます。 戦後の復興期の住宅にはまだ内風呂がなく、人々は変わらず銭湯に通っていました。しかし、1960年代の高度経済成長期になると、「夢のマイホーム」の象徴として「内風呂」が急速に普及し始めます。「お風呂付きの公団住宅(団地)」も次々と建設されました。
これにより、入浴は「公(銭湯での社交)」から「個(家庭でのプライベートな時間)」へと、その姿を大きく変えました。毎日、自宅で、好きな時に湯船に浸かる入浴スタイルが、この時期に確立されました。

第7章:癒しと楽しさを求めて ー- 平成・令和の現代

そして現在。家庭のお風呂は、ボタン一つで湯張りから温度調節までこなす全自動が当たり前になりました。神道的な「禊(みそぎ)」に始まり、仏教の「功徳」として広まり、武家の「施策」や「接待」を経て、江戸の「社交」で花開き、戦後の「内風呂革命」を経て、現代は「体を洗う」という義務的な行為から、「心身を積極的に癒す」「健康的な毎日を過ごす」という大切な時間へと変化しています。日本の入浴文化は、時代と共にその姿を変えながら、常に私たちの心と体に寄り添い続けています。今夜の湯船は、そんな1500年の時の流れと、先人たちの知恵に想いを馳せてみてはいかがでしょう。



入浴なるほどガイド


執筆・監修

日本薬科大学 スポーツ薬学コース
特任教授 石川泰弘(いしかわやすひろ)

博士(スポーツ健康科学)
温泉入浴指導員(厚生労働省規定資格)
睡眠改善インストラクター(日本睡眠改善協議会認定資格)

「お風呂教授」として T V や雑誌をはじめとする多くのメディア活躍。
多くの日本代表チームやトップアスリートに対して入浴や睡眠を活用したリカバリーに関する講演なども行っている。