復興

昭和時代 1926~

漢方医学は明治期に断絶の危機に瀕したが、その後も一部の医師や薬剤師、薬種商などの尽力により、民間レベルで生き続けた。そして、1910年に和田啓十郎が『医界之鉄椎』を、1927年には湯本求真が『皇漢医学』を出版。これら著述がきっかけとなり、昭和に入って、漢方医学は再び注目を集めるようになった。

昭和漢方復興の直接の引き金となった歴史的な著述。出版されるや中国で翻訳書が出る。中国の伝統医学存続にも寄与した。

湯本求真(1876~1941) 1876年、石川県鹿島郡崎山村(現七尾市)に生まれる。1901年、金沢医学専門学校を卒業。1903年、七尾町に開業、警察医を兼ねる。1910年、長女俊子を疫痢により失い、現代医学に疑問をもつ。和田啓十郎著『医界之鉄椎』を読み感激し、漢方医学の研究に没頭。1917年『臨床応用漢方医学解説』を出版。1920年、東京府下滝野川町田端に移転開業。1927年『皇漢医学』第1巻を自費出版。1928年『皇漢医学』第2、3巻を出版。1941年、出張先の姫路市にて急逝。享年66歳。「漢方医学中興の祖」「東西医学融合の先覚者」と称えられる。

1938

東亜医学協会設立(大塚・矢数ら)。月刊『東亜医学』を刊行。

1950

日本東洋医学会が設立。日本東洋医学会創立総会開催。


1950年、日本東洋医学会が設立される。その中心人物は、戦前戦後の漢方復興運動の主導者である大塚敬節、奥田謙蔵、細野史郎、矢数道明らである。1960年代に入ると、相次ぐ薬害の発生などにより西洋医薬一辺倒を懸念する声が高まりました。1976年に漢方エキス製剤33処方が薬価基準に収載されました。

1960

日本薬局方収載生薬が薬価基準に収載。

1967

富山大学和漢薬研究所主催「第一回和漢薬シンポジウム」立山にて開催。

1975


厚生省薬務局監修『一般用漢方処方の手引き』薬業時報社より刊行。

参考画像:
【湯本求真】 北里大学東洋医学総合研究所 医史学研究所 所蔵
【一般用漢方処方の手引き】 株式会社じほう 所蔵
【皇漢医学】 ツムラ漢方記念館 所蔵