1971年~1992年
薬価収載と事業の多角化
1976(昭和51)年、3代社長をトップとする新体制のもと、津村順天堂の医療用漢方製剤33処方が薬価基準に収載され、健康保険適用薬として医療現場で使われることになった。これにより、順天堂の悲願であった「漢方の復権」が果たされた。
1983(昭和58)年には、新たに茨城工場が完成。1988(昭和63)年には、社名を「株式会社ツムラ」に変更し、シンボルマークも一新した。だが、1993(平成5)年の創業100周年を目前に、ツムラの財務状況は著しく悪化する。バブル期に急速に推し進めた事業の多角化や不祥事により、ツムラの経営は岐路に立たされた。
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1974
医療用漢方製剤の販売
医療用漢方製剤29処方の販売を開始。
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1976
薬価収載へ
津村順天堂の医療用漢方製剤33処方が、薬価基準に収載され、保健薬の指定を受ける。
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1978
日中交流の開始
会長、生薬原料の安定供給確保交渉のため、第1回目の中国訪問。北京で中国政府の衛生部長と会談。中国土産畜産進出口総公司と具体的細部について直接交渉。
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1982
東証1部に昇格
東京証券取引所第1部の株式上場昇格。
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1983
国際漢方シンポジウムを開催
創業90周年を記念し、国際漢方シンポジウムパーティーを開催。
茨城工場稼働
茨城新工場が本格的に稼働開始
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1986
本社移転
新本社社屋へ移転。
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1987
薬価収載129処方となる
医療用漢方製剤G処方が薬価基準に追加収載され、保健薬指定は計129処方となる。
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1988
社名を株式会社ツムラに変更
創業以来使用してきた中将姫のシンボルマークに代わり、新シンボルマークを採用。
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1991
深圳ツムラ薬業有限公司を設立
中国における原料生薬の調達拠点として深圳津村薬業有限公司を設立。