1946年~1970年
戦後復興から漢方の復権へ
戦後、招集を解除された2代目重舎は、焼け野原の日本橋に再び「津村順天堂」の看板を掲げた。
原料、資材、エネルギー、あらゆるものが不足する中での再出発だったが、 2代目重舎は私財を投じるなどして会社を支え、1952(昭和27)年、日本橋に新たな本社ビルを完成させた。
1954(昭和29)年には、古くからの伝統と新たな技術を融合させた新女性薬「ラムール」を発売。1960年代に入ると、入浴剤「バスクリン」の売上が急増した。バスクリンのヒットを受け、順天堂では静岡工場を新設して生産体制を拡充した。
また、これに先立つ1957(昭和32)年、順天堂は本社ビル1階に漢方診療所を開設し、「漢方の復権」に向けた取り組みも進めていた。
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1950
「バスクリン」生産再開
戦争中、原料不足のため中止されていた製造が再開された。
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1952
中将湯ビルが落成
中将湯ビルが落成し、営業を開始。新装したビルは、地下1階地上8階塔屋1回の近代的建築で、復興・平和・繁栄のシンボルとなった。
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1954
中将湯糖衣錠「ラムール」を発売
中将湯の全成分の完全抽出に成功した新女性薬。映画会社とタイアップした「ミス・ラムール」コンテストは当時の広告業界では高い評価。
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1957
「中将湯ビル診療所」開設
津村順天堂本社ビルに”中将湯ビル診療所”開設。医療法人社団「金匱会」の設立が許可され2代重舎理事長に就任。中将湯ビル診療所の経営に当たり、漢方薬の薬効データ集積に寄与。
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1964
静岡工場建設
静岡工場建設の第1期工事完成。逐次操業を開始
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1967
先進技術の導入
旧西ドイツより紙缶容器製造機械を2台導入。
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1968
創業75周年記念式典
津村順天堂創業75周年記念式典を挙行。株主記念配当、社員特別賞支給。
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1969
バスクリン工場増築
日本の経済成長と人々の生活水準の向上により、生産設備をフル回転して生産にあたっても需要に追い付かず工場を増設。