ツムラの歴史 1893年~1903年

1893年(明治26年) 創業時代 青雲の男発つ

津村順天堂創業
津村重舎、故郷の奈良を出て上京。 良薬普及の大志に若い心は燃えた。 「良薬は必ず売れる!」

1893年(明治26年) 斬新な新聞広告

重舎は創業後20日も経たないうちに、4月29日付けの郵便報知新聞に広告を出した。この後重舎は様々なアイデアで、広告、販売促進戦略を進め、後に、"PRの天才"と呼ばれるようになった。
「御婦人方へ」と題するその広告は、縦33センチ、横20センチ、紙面6段のうち4段5分の3くらいのスペースをとり中将姫の木版を中央に置いた大胆な構図と産婦人科各名医の 証明を掲げた斬新な内容だった。加えて、中将湯の販売店を全国的に紹介している。この広告のアイデアは、すべて重舎の発想によるものであった。また、この年の年末までに、東京市内の有力新聞に53回にも及ぶ広告を掲載して、「中将湯」の知名度アップに努めている。

創業者 津村重舎(初代)

1895年(明治28年) 日本初のガスイルミネーション

明治28年に、日本初のガスイルミネーション看板を店舗に取り付けたのも当社である。それは中将姫の図柄を入れたもので、日本橋の店舗の2階から屋上に向けて取り付けられ、明治中期の日本橋の夜を彩った。銀座8丁目にガス燈がついて、詩情を誘った頃と相前後している。ガスイルミネーションは電気式のものと違い、ガスの炎を利用するため、強い風が吹くとガスが消えてしまうような幼稚な設備だったが、この時代では人目を引く華やかな広告であった。
アドバルーンも他に先駆けて宣伝に利用している。

津村順天堂本店(当時)