ツムラと牧野富太郎博士

草を褥に木の根を枕、花と恋して九十年。

~日本植物分類学の父、牧野富太郎博士の言薬~

植物研究雑誌を創刊へ

1916年(大正5年)、牧野富太郎博士は専門家に限ることなく広く植物愛好者を対象に、植物ならびに植物学の新知見の提供と研究などの活動を紹介することを目的に、植物研究雑誌を創刊しました。
しかし当時は牧野博士の自費出版で、経済的状況から度々休刊を余儀なくされ、1922年(大正11年)には刊行が一時途絶えてしまいます。

左:植物研究雑誌(第一巻第一号)右:牧野富太郎博士

漢方の復権と植物学の普及

当時は江戸から明治・大正へと続く時代の流れの中で、文化や風習が大きく変わっていく真っ只中。医学も例外ではありませんでした。西洋医学が中心に据えられていた状況で、当社の創業から2年後の1895年(明治28年)には帝国議会で「漢医継続願」が否決、漢方は一気に衰退の危機に瀕します。
一方その頃、当社の創業者・津村重舎は和漢薬の研究を行う「津村研究所」を設立するなど「漢方の復権」を目指し奔走していました。その後、津村重舎は植物研究雑誌の発刊の中断を余儀なくされていた牧野博士を知り、経済的支援を決意します。牧野博士は植物学、津村重舎は漢方の科学的レベルを高め、広く一般に広めたいという想いが重なっていたと思われます。

「本誌の復活に臨み津村重舎氏に深厚なる感謝の意を表す」

1926年(大正15年)3月の第三巻第三号からは、津村研究所から発刊されることになり、創刊から100年以上経った現在でもツムラが発刊を引き継いでいます。
2016年には植物研究雑誌の創刊100周年を迎え、東京大学で記念講演会が開催されました。また、『創刊100周年記念号』の刊行と、過去掲載論文のWebでの電子アーカイブ公開を実施いたしました。

重舎への感謝の意が記された紙面(植物研究雑誌 第三巻第三号)

「本誌の復活に臨み津村重舎氏に深厚なる感謝の意を表す」。こちらは牧野博士が第三巻第三号に記した一文です。牧野博士と津村重舎の出会いから、発刊再開に至るまでの経緯、津村研究所が行う生薬の研究が製薬業界に貢献していることなどが記されています。

「草を褥に木の根を枕、花と恋して九十年。」

牧野博士と当社の関わりは植物研究雑誌だけにとどまりません。1924年(大正13年)には東京都調布市仙川に現在の茨城工場内にある薬草見本園のルーツである「津村薬草園」を設立。その際、牧野博士が園の監修を手掛けたと言われています。
牧野博士の言葉にも込められた、すべての植物に注がれた愛情と情熱。研究の推進と植物学の普及を推進するために植物研究雑誌は創刊されました。その精神は、今も脈々と受け継がれています。
植物分類学と生薬学は、高品質な漢方薬を人々に提供し続ける上で、安全で正しい生薬を見極めるために必要な地図のようなものであり、不可欠な学問です。日本の植物分類学と生薬学とを結び付けているこの植物研究雑誌がなければ、今のツムラはありません。
私たちツムラグループは牧野富太郎博士をはじめ、植物研究雑誌を支えて来られたすべての方々に心から感謝します。
私たちは、引き続きこの取り組みを継続し、当社のパーパス「一人ひとりの、生きるに、活きる。」の実現を目指すとともに、経営理念である『自然と健康を科学する』をさらに発展させてまいります。

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